ブログ - 20140810のエントリ

人を殺してみたかった

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-8-10 9:35

      (人を殺してみたかった)

 この書き出しには次の時代と作品を予感させる暗示が感じられ、静かながら打ち消せない衝動が含まれている。時代が言葉を産み、言葉が次の時代を予言することがある。数年前にもこの言葉を用いた殺人犯が何人かいたが、今回の高1の少女の言葉はわたしの胸に刻印を打ち、聖書にある、汝 ひとを殺すなかれ、とあいまってわたしに迫り、答えてくれと追及してくる。どうしたらいいのでしょうか?わたしは人を殺したくて殺したくてたまらないのですよ!どうしたらいいのでしょうか?教えてください!

 きみは物質的にも階級的にも恵まれすぎた生活をしてきたが、母の死、父の再婚に連続してであい、生きる意味を即座に失ったのではないか?(生)の確認衝動がわき、猫を殺して解剖し、(死ぬこと・生きてること)、の対立状況の中で(生)の確認をし、仕上げとして友達を衝動的に殺したのではないか?

 わたしが幼い頃はヘビやカエルの尻尾や脚を掴んで地面に叩きつける遊びをしたことがある。ヘビは路上に血をだして死にカエルは全身を痙攣させて死んでいった。正月が来ると飼っている鶏をムシロに包んで首を絞めて殺し、さばいて雑煮の中に入れた。わたしはそこで、可哀想だ、という感情に襲われた。二度と殺傷をすることはなかった。今は豚肉・鶏肉はラップに包まれきれいな姿で店で売られている。血を流しながらもがいたり体を痙攣させて苦しんだりする光景は隠されていて人前に出ることはない。

 自然をすっかり失った生活は人の顔を能面に仕上げ、生活から現実感を失わせた。資本主義は終末を迎えながらが延命し、グローバリニズムも延命治療にやっきになっている。(出物腫れ物ところかまわず)で次から次に想像も出来ない事件が起きる。流行り言葉すたれ言葉、で時代を判断することが出来るが、人を殺してみたかった、という言葉が流行り言葉にならないように文明の反省を自分もしたい。

すでに戦時中が復活した

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-8-10 4:14

 昨日、午後7時のニュースをNHKテレビでみた。アメリカがイラクの少数派民族を救うために都市の空爆をし、(人道的救援)おこなった、とアナウンサーは言った。わたしは違和感をおぼえ、食事をしながら集団自衛権の論議中でありながら戦時の予感をした。国に内乱が起こっている時、石油の利権を奪われまいとするために他国にかってに入って侵略し、空爆して多数派を殺しながら(人道的支援)という言葉を捏造して正当化し、公共放送を標榜するNHKが捏造言葉をそのまま使うという事実。ストーカー行為をしながら加害者が(愛の行為)といえばNHKはそのままその言葉を流すのであろうか?これでは太平洋戦争中に中国を侵略した日本軍を(欧米からアジアを解放)したという虚偽の構図と同じではないか?イラクに日本人が残留していたとすれば、日本人を救うために日本軍がイラク多数派を武力攻撃した、という正論が成り立ち、侵略したければ自国の国民をいれておけばよいということになる。

 NHKは戦時中にデマ報道を飛ばし国家に協力して多くの犠牲を国民に払わせたことを反省して郵政省から分離・独立したのではなかったか?今では手の平を返したように大本営発表の機関に変わり果てた。しかも公共放送などと標榜してるから始末が悪い。

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