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この内容は人権上の問題をはらんでいますが、人権の領域から離れた視点で書きます。(図解雑学 構造主義)という本にまったく同じことが書いてあるのでわたしのオリジナル視点ではありませんが、わたしがうすうす感じていたことだったのです。秩序が時代や国、生命体、無機物を問わず普遍のものであればイジメはどの世界にもあり、隠れている場合もありますが、生け贄が普遍的に存在します。週刊誌が好材料とする有名人のスキャンダルが良い例で、読者はコロシアム(ローマ時代の闘技場)で行われる殺し合いのような血祭りを快感を抱いて観るのです。そこで自分達の安全圏を確信し、安心して生活をし働くのです。血祭りは残酷なほど興奮を呼び起こし、観客にエネルギーを与えます。イジメられている者を助けよう、イジメはいけないなどという作用は起こらず、傍観しながら自分はイジメラれる側ではないことを知ってイジメル側について安心するのです。ですから定期的に血祭りはイベントのように発生し、止めることは出来ません。イジメラれる側の対抗策としては(イジメられることがどんなに苦しいことかはじゅうぶんにわかっていますが)被虐を受けた日にちや内容を記録して裁判で多額の金をとってやること、あるいは大声を出してイジメられてる実態を暴露するかでしようが、イジメる側は巧妙ですから、ふざけてた、冗談半分など言い訳を準備していますから、簡単に片付かない場合があります。同時にイジメテるという自覚がないのですから始末が悪いのです。
ついに恐い言葉に出会ってしまった。(図解雑学構造主義)という本をよんでいるが、タイトルのその言葉は私の心臓をずばり突き刺した。わたしの予測していたのはその言葉であった。総理大臣が安倍から誰に変わろうと例え共産党が政権をとったとしても資本・民主主義の体制が変わろうとも政治・社会構造が変わらない限り首のすげかえにしか過ぎないのだ。いやもしかすると政治・社会体制が変わったとしても全体をまとめるには何がどんな構造が必要かと考えれば、サル山の社会のように面倒見の良いボスと安心して生きていけるシステムということになり、時代や生物世界、国を問わず、秩序は普遍のものではないか。細胞や細菌、量子にいたる世界までそうなのではないか?
F.カフカやカミュは構造主義の先駆者である。カフカの(城)(審判)など初めて読んだ時は退屈きわまりない小説であったが、自動車組み立て工場で組み立て作業をした時に覚えた感覚、?ここは刑務所であり俺は懲役労働、罰を受けていると言う気持ちを経験した。その後にそれらの作品を読み返すとあまりのリアリティに悪寒さえ覚えた。カミュの(異邦人)もそうである。ムルソーが殺人罪で捕らえられ、獄舎に入れられた時の気持ちは待ち望んでいた世界であり、衆人の前で絞首刑にされる光景を待ち望んでいると言うものであった。
現代人はすべて構造と秩序の中にいて自ら独房生活をしているとその本にも書いてあり、同感であった。
今日の新聞でまた新しい病名を見てしまった。長崎佐世保市での高1同級生殺害事件への判決が医療少年院送致になった、という記事だった。わたしは複雑な気持ちで読んだ。加害者の父親は娘の犯した殺人事件にショックを受け、自殺した。加害者の少女はそのことを知って涙を流したのだが、その父親をバットで殴って殺そうとしたことがあったのだ。
わたしは自分の思春期の頃を思い出す。狂ったような愛情、同情、好奇心、憐憫、殺害欲望、夢想などあらゆる感情が渦を巻き、情緒不安定と言われた時があった。けれども自分の感情をそのまま動かせば犯罪になると知っていたので自然に自制心が育っていき、これまで犯罪者にもならずに生きてきた。
ここで言いたいのは本来人間の感情・感覚の世界は混沌としているもので、きっかけや条件さえ揃えば化学実験同じようにそのとおりに進み、結果を出すということである。わたしたちはテレビをみていろんなニュースやスポーツ、ドラマなど観るが、その画像の元になる電波は人間には全く見えない。受信機(テレビ)という機械を通してみており、波動であるからスイッチを入れた人は全員がみれる。人間の脳にも受信機や発信機があり、正常に活動していれば日常生活でトラブルを起こすことはすくないが、この少女の場合は正常に活動していなかったし正常に発達しなかった。だから、上記のような事件や出来事が起こった。父親を殺そうとした、父親の自殺に涙を流した。一見、矛盾・対立する精神構造はわたしの思春期にもたくさんあった。初恋の女が好きで、たまらなかったが殺したいと想った時もあった。矛盾・対立、混沌という状況は特別な状況ではなく、誰でも何時でも条件によって出るか出ないかのちがいにしかすぎない。一生、まったく出ない人もいるし、青春期に出る人もいるし、さまざまな状況がある。精神科医がこの少女に対してどんな治療をするか知らないが、少女の脳のある回路の修繕がひつようだと思う。彼女は16歳であれば殺人を犯しても死刑にならないことを計算して実行したのであるが、実行すれば社会から追い出され少年院送りになること、自分の人生が普通のコースから外れることも計算の上であったのだ。
判決では快楽殺人と裁判長がいっているが、人助けや人と共感することも快楽であるという回路に導いてやるべきである。例のサカキバラナオトさんも彼の犯罪行為を本に書いて出版しているが、本来、殺人は快楽でもあるのだ。単細胞の中性状態から、雌雄に分離し、競争原理、破壊原理を植えつけられた生命全体の宿命なのである。
69歳(現時点)の女が6人の男を毒殺した事件は今でも時々、世間話に出る。一人暮らしの老人と結婚し、殺して遺産を相続した。先物取引で失敗して金が必要になったと容疑者は言っている。なぜそんなことをしたのか、そんなことが出来たのか?と人人は不思議に思い、わたしも一時的にそんな疑問を持ったが、今では容疑者の心理を分析出来る。
秩序の裏の世界に入り、あまりに強い充足感から抜け出せなくなったのだ。秩序の表の世界は真面目に働き、子供を育て、年金をもらって老後を過ごし、時には旅行もするという図式である。秩序の裏の世界はスリルと快感に満ち、引き返すことの出来ない世界なのだ。寂しいエロ爺(もしかすると私かもしれない)を探し、年金や貯金の額、子供がいるかどうかを聞き出す。十分に採算がとれ、事業化できると読めば着手する。セックスの餌を与えて結婚に踏み切り、入籍する。バイクに乗る男か車を運転するのか知り、バイクで長時間出かけるとわかった時、青酸カリの入ったご飯を食べさせる。容疑者の最初の事業が見事に成功し、爺さんはバイクを運転中に転倒し死んだ。多額の遺産を相続した。次は二番目の事業の開始である。色仕掛けで誘惑し、入籍するのは難しくないが、完全に死なせるはかなり難しい。単独で計画を立てる個人事業主だから難しいほどやりがいがある。爺さんといっしょにご飯を食べ、布団の中で抱き合ったりしながら頭の中は事業成功のことばかりである。爺さんの体がユキチに見えてくる。三千万円か?五千万円か?新たな財産が見つかった時の例えようもない楽しさ!ハイキングが好きな男だからいっしょに上って山から突き落とす。勝手に落ちて死んだ、ということでも世間は通る。
このようにして彼女は秩序の裏に入り込んでしまった。そこは競争相手も少ないからトンでもない利益を生み、誰も疑いはしない。秩序の裏と表はぴったり重なり一枚のコインになる。
(わたしは人殺しと金がたっぷり手に入ることが楽しくなってそこから抜け出せなくなったのです)
そんなことは裁判の場では絶対に言いません。青酸カリの入手経路も絶対に話しません。
わたしはこのブログに200件に近い項目を書いていますが、ほとんどが聞きかじりやマスコミ、情報界からヒントを得たものです。専門的に学び、知識を得たものではありません。専門家が書けばわたしの手の届かない世界のことまで披露してくれるでしょうし、わたしが及ぶはずはありません。ところが専門家は自分の分野のことしか知らないし、それを他分野まで広げようとはしません。物理学者が政治の流れや政治の世界、戦争が何故起こるかなどというテーマに物理学的に取り組んでも良いはずではないですか?なぜでしょうか?マスコミも一つの事件や現象に他分野の人に考察してもらっても良い筈です。
そこで、雑学サーファーという言葉を思いついたのです。分野ごとの垣根なんていっさい持っていませんし、無名ですから評判が落ちたなどという心配もありません。ある人が言いました。あんたみたいにあれだけ書きたい放題のことを書いていたら、中国だったら銃殺刑になっとるよ。わたしはその言葉に少し驚き、政治の分野でも過激過ぎるのではないか、このHPにもっと人気がでればやばいのではないか、と考えたりしたこともありましたが、死ぬのを待ってるような生活なので暗殺、銃殺など大歓迎と考え直しました。雑学者はたくさんいるし、雑学だから幅広い視点で物事が見えますから、そのうちトンでもないことを考え出す可能性があります。