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野良猫の子産みし農小屋桜舞う

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-4-18 7:43

  昨日、竹の子を茹でるための廃材を農小屋に探している時であった。以前、小屋は母が四人の人たちに畑をつくってもらっていたので四個あったが、その一番小さい小屋の中を覗いていたら、暗い中に顔見知りの三毛猫がいて、驚いてとびだして来た。肩を激しく、小屋にぶつけて出て行った。すると、そこに三、四匹の子猫がいて、おれの顔をしずかに見ているではないか・・・。

 おどろいた!

 時々、倉庫のそばに食べ残しをおいてやったが、ここを居所にしていたのか?ここは見つかりにくいから移ってて来たのかもしれない・・・、考えながらどうしようか?と迷った。例の野良猫支援をしている主婦に頼もうか?と考えたが、まず町役場に電話を入れた。猫犬係の男が出たが、いともあっさり、町では関わっていませんと言う。昔は野良犬を捕獲したりしていたが難しくなってやめたに違いない。

 それから、弁当配りのバイトをしながら、どうしようか?と考え、仕事仲間にも相談したが、放置するしかないと決めるしかなかった。エサもやらない方が良い。食べ物は蛙とかコオロギとかネズミ、モグラくらいしかいないが、餌をやって増えすぎると困る。

 猫を飼いたい、と思っていたおれは豹変し、見るのも苦痛になっていることがわかった。

 飼おうとすれば病害虫の駆除、避妊手術など金がかかり過ぎる。それでなくとも自分が飯を食うだけで精いっぱいなのである。

 やはり、野生のままに生きさせるしかない・・・。

  今日の朝、農小屋には桜が舞っているいるのが見えた。あれから、母猫はどうしたかな・・・?人間なら御目出度いことのはずであるが、子猫たちに楽な人生は待っていない・・・。

 

猫の断種

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日記
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nakamura 2024-4-15 8:28

  先日、門扉のそばのインターホンが鳴った。部屋を出て、行ってみると、見知らぬ主婦が立っていて、しゃべり始めた。ーお宅の屋敷のまわりで三毛猫をよく見かけたけど、最近、見なくなった。この前見たら、お腹が大きかったけど、次はお腹が小さくなっていたのでどこかで子を産んだのではないか?もしかしたら、この家のどこかで産んでいるかもしれない。引き取ってやらないと死んでしまうかもしれない。わたしは保護猫の活動をしている、と言った。

 わたしは少し驚いて、自分もその猫を時どき見かけて、魚の骨などあげたりしていたが、そう言えば最近は見ないし、ここで子どもを生まれたら面倒なことになるとこたえた。

 主婦は私たちは野良猫を見つけたら避妊をして返すようにしているとも言い、彼女が近所の知り合いの奥さんであることもわかった。

 わたしは猫は大好きで、ユーチューブでいつも見ていて飼いたいと思いながら面倒をみる自信がなくて、実行には至らない。

 食べ物の残りを与えるくらいで良いかな?と思いながらその三毛猫が子供をぞろぞろ連れてきたらどうあするか?と考えてしまう。

 だが、待てよ!猫の避妊を人間が勝手にしても良いのか?ヒットラーの時代に断種法と言うのがあって、人間の劣等種が去勢されたことがあった。今でもそのことが問題視されているではないか?猫と言えども生き物である。それに人が手を加えて良いのか?

 猫たちがこのことを知ったら、すごく怒るに違いない。

 ジョージオーエルの小説(動物農場)を読めばそんな出来事が小説化されて面白そうである。果たして猫の気持ちはどうか?人間に飼いならされて生きる道を選ぶか?野良や野生の道を選ぶか?である。

食べるものありますか?

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日記
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nakamura 2024-4-14 8:58

  その若い男性とはある会で知り合い、友人にも近い関係になっていたが、身内というほどのものではない。近頃、彼はその会に何か月も姿を見せないので、電話を入れると、ウツになっていると言い、わたしもウツ気味のことが多いので、アドバイスをしてあげた。すると、これから家に行きますけどと言い、自分も話し相手が欲しかったので、いいよ、というと、何か食べるものありますか?と聞いてきたので、カレーの残りならあるとこたえてやった。

 かれは家に来ると、わたしのつくったものを食べ、お代わりをする。それは嬉しいことであるが、食べるものはないか?と聞かれると、少し、踏み込み過ぎではないか?と思った。手土産を持って来たことは一度もない。

 だが・・・?と思い返した。このHPの冒頭に、腹が減ったらご飯を食べききませんか?とうたっているではないか?空腹の者に食べ物を与えることは自分も食べたことと同じ満足感がでるのではないか?そうして、空腹の者に一般人がお裾分けをする社会が出来れば素晴らしいことではないのか?

 そんなことを考えていた自分は初心を忘れていたのであった。

 また、考えた。すべての住人が善意者になったとしたら、社会はどうなるか?幸福な社会になることは間違いないが、同時にその善意を狙って悪が入ってくる。そして、結果的に善意は破壊されてしまうのではないか?それとも善意者達が善意を守っていくだろうか?ウクライナ戦争をみればわかるように力の対決である。(力は正義なり)である。

 今日は日曜礼拝にい行く。キリスト教は、神がすべての生命を作り、繁栄するようにしている、という部分ではすごく共感しているが、それ以外の部分では理解できないこともあるし信者達が困った場合にどんな行動をするか?にも興味があるのである。まわりがすべて信者になったらどうなるか?にも興味がある。だから、わたしにとっては観察と研究の対象でもある・・・。

教育の自由化

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日記
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nakamura 2024-4-10 7:16

  今日のヤフーのニュースに、刑務所の中学校に入学、と言う記事が出ていた。ほう、教育業界も少しは、変りはじめたな?と思った。自分の人生を振り返ると、小学校から受験奴隷にされ、大人になってからもいつまでも進路が決まらず、うちの家系から集金人が出た!と叔父からいわれながら、何とか働いて一生を終えようとしている。

  名門と呼ばれる進学高校に入りながら、担任と進路について話し合ったことなど一度もなく、二次志望大学に落ちた時には自殺をはかろうともまで考えた。教育行政にはただ恨みしかなく、今では実態が見えてくる。教育とは教育関係者たちの生活の糧にしか過ぎないのである。受験や就職のレールを作り、その仕事で飯を食う、業界なのである。教育とは本来、生きるkとを教え学ぶ学問ではないのか?

 刑務所の中学校に入学、の記事で学校をもっと民営化して欲しい。退職した老人でももう一度勉強したいと考えれば、小学校でも高校でも入学できるようにすればいいじゃないか?若者たちの非行はすべて教育に原因があるといっても過言ではない。自分の生き方や進路が見えてくれば非行に走ることなどないはずである。変わっている若者が入れば、変っていることは素晴らしいことだと自覚させ、その方向を教えてやれば良いことではないか?

 レア学校、が出来ることを祈っている。

女らしさ男らしさ

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日記
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nakamura 2024-4-8 11:06

  このタイトルは、(男らしさ・女らしさ)としていたが、差別感を感じて、逆にした。それでも、フェミニストたちは(男らしさ・女らしさ)という言葉自体に反感をおぼえるであろう。それを突き詰めていけば、(男)や(女)の本質を捨てることになるのではのではないか?と、考えてしまう。

 基本的に男と女は共通項もたくさんあるが、差異もあるのであり、それをもって違いがないとは言えないし、そのように言えば無理が生じてしまう。まず、肉体的な差異があり、精神的な差異がある。能動的、受動的という言葉で置き換えてみれば日常的な部分で理解出来るはずであるし、能動的が良くて、受動的が悪いと言うわけではない。物理学でも正圧、負圧という言葉を使うではないか?近頃は、美容整形が流行ってこの前のニュースには高校や大学受験に受かったから、お土産に顏の整形をしてあげると言う記事がのっていた。わたしなど、髪は薄く、禿げあがり、眉毛もすっかり消えてしまったので、金に余裕が出来たら、毛染めでもするか?と考えたりするが、どんないいじっても変わり映えしないのだからこのままでも良い、とも思う。

 男にも女にも色気というのがすっかりなくなってしまった。それは肉体の内部から出る歓びや快感、悲しみであるのだが、感情自体も縮んでいるので貧しく消えていったのである。

 昨日、あるカラオケ会の発表会があった。行こうと考えていたが、アルバイトもあったので行かなかったし、興味も強くなかった。三年間ほどそのカラオケ教室に通い、きたえてもらったが、最終的に自分の考えとの食い違いが出てしまったのであった。指導者である女先生は、わたしの歌いかたが、しゃくり上げている、といって肩を強く叩いたが、今考えればしゃくって歌うことのどこが悪いか!と言い返してやりたい。しゃくる、とはいったん音程を下げてあげるように歌うということであるが、歌手のように歌わなければならないということはなく、自分の歌い方で歌うべきなのである。女先生は九州大会で優勝経験があり、音楽大学の先生の指導を受けていると言っていたが、本人はきれいな声で鳥がさえずるように歌いかたをしていた。わたしはその考えとはまったくちがう。その歌の世界の生活や人生を歌いあげれば良いと考えていたし、今もそうである。

 最初の話に戻ると、今の時代はあまりにもきれいきれいな社会になりすぎて、本当の美や生から遠ざかってしまっている。それが少子化になり、社会の活力を失わせているのである。根本に戻って取り組むべきではないか?と思う。

プーチンを持ち上げる気配

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日記
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nakamura 2024-3-27 19:02

  やらせの選挙で大統領になったとはいえ、プーチンは勢いを見せてきたようだ。およそ三年がたつと言うのにロシアは負ける気配を見せないし、支持者も減らない。どういうことだろうか?あんな男が支持されて長い間大統領の座について、ほとんど毎日ヤフーのニュースに顔を出すのである。胸糞が悪い。なぜ、生きていられるのか?普通の男であればすでに処刑か暗殺されているはずである。まったくわからなかった。が、少しずつわかってきた。

 若い頃、政治学に興味を持って、デビット・リースマンの(孤独な群衆)と言う本を読んで感動した。それが思い出される。ドイツはワーマール憲法のもとに民主主義が産まれていたのに、なぜ、ヒトラーが登場し、独裁国家になったか?ドイツ国民はなぜヒットラーを支持したのか?それはその本に解明されてることに気づいた。同時に、まさか、プーチンの登場を予言していたのではあるまいな?

 ロシア人は強い王を期待し、それがプーチンになった。王の力が強ければ闘いは起こらず、経済は繁栄し、幸福になれる。プーチンはヒットラーのように国民の指示を受けて、王になったのである。戦争は拒否する者がいると同時にその熱狂に孤独感を癒す者もいる。戦前の日本と同じである。みんな孤独なのである。だから、毎日、テレビを見、人の顔を見、酒に酔い、カラオケを歌い、神に祈る。それに独裁国家にはパワハラやセクハラが問題にされるかどうかではなく、存在しないのではないか?本来、暴力国家であるから、暴力団が国家権力を握ったのと同じであり、暴力団は必要ないのであろうし、パワハラ・セクハラも存在しないのではないか。

 今回の出来事は独裁国家VS民主・人権国家とらえられるのではないか?マスコミは視聴率稼ぎのために毎日、セクハラ・パワハラをニュースにするが、それでいかに世の中を狭くしているのか?考えないのだろうか?パワハラ・セクハラが問題にされることは大事であるがあまりにも過剰に報道しすぎていないか?考えてみるべきではないか?さらに、どこかでプーチンを持ち上げる気配が見うけられる。

 怖いことだ、戦時中に似てきたではないか!

 トランプが勝って、アメリカがウクライナの支持をやめればプーチンの思うつぼではないか?まさか、プーチンが世界の王になるなんてありえないだろうが、予断は許されない。

レアのもたらす調和

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nakamura 2024-3-24 13:58

  今日は日曜礼拝の日であったが、小雨の降りつづく寒い朝で,出るのがおっくうになっていた。メールを入れて休もうかと思ったが、バイトの始まる16時まで部屋に籠っているのはますます憂鬱になってしまいそうで、身支度を整えて出かけることにした。教会に添える花はなににしようかと考えたが、八重椿はこの前持って行ったし、水仙も終わりかけている。庭の端に忘れていた白梅があったので、二本取り、庭梅も二本ととって教会に傘をさして出かけた。ところが白梅は一メートル半ほどもあって、長すぎると考え置いて行こうかと思ったが、とりあえず持って行くことにした。

 教会のドアを開けて、花はそのまま炊事場に置いて、牧師にあいさつをすると、白梅と庭梅を花瓶に入れて飾り、水仙ともう一種類の花を下方に並べてくれた。

 あまりの素晴らしさに驚いて、眺め、こんなに変わるもんですね!というと、牧師も褒めていた。祭壇の十字架と背の高い白梅、ピンクの庭梅が照応しあって、見事であった。

 それぞれ顔もスタイルも異なる花は、互いに強調し合って個性を引き立てているのであった。レア、異種が交わることによって存在感を際立ててるのであった。

 帰り際に、引き込もりになっている信者の話を牧師と交え、彼も自分が変わっていることの価値を見出せるようになったら、良いですね、と伝えた。その日の説教はキリストが磔刑に処せられる場面であったが二人の強盗犯といっしょに磔にされたことに驚きをもってきいていた。

 キリストもレア中のレアである。

 自分が変わり者であることを気にしてはいけない。変わり者であることに価値があるからである。

自分が見えない時期

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-20 11:16

  ある独身男性が私の家に寄って、話をして帰る。彼はこのホームページを知って読んでいるので詳しいことは書けないが自分の息子のように思えるので、こうしてキイを打っている。

 彼の話の内容を思い出して、彼がどうやったらウツから立ち直れるか?と考えると、自分の若い頃がよみがえってくるのである。高校を卒業した頃が人生の最悪の時期であった。小学校の頃から受験戦争の兵士にされて、闘って来たのに第二志望の大学に落ち、燃え尽きてしまった。ドモリの障害があり、矯正施設に通っても治らず、父母はいつも喧嘩ばかりしており、友達もおらず、好きな女に話しかけることも出来ず、頭は悪く、どのように生きれば良いのかもわからない。修学旅行で楽しかった箱根に行き、自殺場所を探しながら、別荘に忍び込んで寝たりした。睡眠薬を飲み、ウイスキーを飲んでトイレに吊ったロープに首を入れたが眠気は来ない。

 どうしようか?と迷ってるうちに、無理な死に方をしなくてもそのうち歳をとって死ぬか何らかの事故で死ぬんだ!と思い返して自殺をやめた。それから、毎日ご飯を食べて曲がりなりにも76年間生きてきたわけである。

 今振り返って見れば自分はその時、自分の姿が見えていなかったことに気づく。先ほどの男性も自分の姿が見えないのである。ごはんが美味しく食べれる、歩くことができる、チンポも立つ、働いてい活きている、ことなど自分には神から与えられた恩恵なのである。

 それらを失い始めた今、有難さがわかってきた。今日も16時からカート整理のバイトを三時間やることになるが、さきほど草むしりをし、チンゲンサイと大根の種をまくことが出来たので、なんとかバイトも出来そうである。

キリスト教への考え

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-15 7:55

  昨日は、草刈り機の刃を替えて、草刈りをした。七百坪の十分の一ほどの草であるが、刈ってみて、この調子で全部刈れると自信がついた。刃を変える時に手間取った。刃のそばにある穴に棒を入れてロックを外さないとボルトが回らない。穴を見つけて、入れてレンチを回すが回らない。不器用で勘の悪いおれは認知症も加わって、試したが出来ず、いつもに園芸店に持って行った。男の店員は二人とも出払っていて、はじめて見る若い女が出て来て、二人で草刈り機の穴を探した。穴さがしも大変やねえ?とからかってやろうか?と考えたが、セクハラにあたるのではないか?と思って、黙っていたが、彼女は目ざとく穴を見つけ、ボルトを外してくれた。穴がじつは二か所あったのであった。

 金を払おうとしたら、要らないと言うので助かった。

 帰宅して新しい刃を入れると、気持よく草を刈っていくではないか!

 大喜びして、日が暮れるまで刈っていった。日本酒のコップ酒を飲みながら、刈りあとを見た。春草は柔らかいが、粘りがあって一メートルも伸びていた。

 草は刈ればまた伸びる。それで生きている。

 仲間のクリスチャンがメールを送ってきて、神のことについて聖書の言葉を引用しているがわからない部分がある。そこでキリスト教について考えた。聖書の中には原罪をはじめとして、滅びの箇所がある。創世記の原罪の部分であっても、人が神の言葉をきかないので死ぬ運命を与えたということであり、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、エリコの壁など神が人を滅ぼすのである。そうして悔い改めを求め、信仰によって天国を求めさせる。

 生命の繁栄には亡びが必要なのである。だから、良いとか悪いとかのことではなく、原理としてそうなっている。ウクライナ戦争だって、なんであんな戦争をやっているのか?不思議に思いながらも、二年間がすぎ、これから先もつづくのである。繁栄には亡びが必要なのである。おれももう、何年間の命である。

 

 

女から手を握られたら・・・?

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-3-5 8:29

  女から手を握られたからといって、その先はOKだと即断してはいけない。即断してセクハラだと訴えられることはありうる。わたしとA子とはある仲間に入っていて、週に一度の交流会、その送迎をしていた。

 助手席に座っていた彼女は冬の寒い時など、わたしに手を伸ばして、寒いね!と言いながら手を握って来た。手をこすりあわせながら、体を寄せて来た。そこである時、山道に車を停めていた時、彼女の胸を触り始めたのであった。すると、そんなことは苦手なのよ、といって手を外そうとしたの。自分はわけが分からず、手を離したが、後に彼女がいうには半身が小児麻痺にかかっていて、不感症なのであった。この出来事は理解出来る。

 B子もその会に入っていて同じように送迎をしていたが、歩く時に自分の手をにぎってきた。道そばのホテルを通りかかる時、入ろうか?と声をかけると、お金がかかるとか気持ち悪いと言う返事であった。夫以外の男は気持ち悪いのであった。会で交流が始まる前、ここが痛いからもんでくれない?といってスカートをめくり、太ももを出したので揉んでやったこともあった。この場合でも,無理強いして体を求めればセクハラだと騒がれる可能性がある。

 C子はすごく警戒心の強い女で、部屋を訪れたりすると、部屋中の窓や戸を開けて、自分を防衛した。また、わたしがしたことはないのに彼女にストーカーをしていると言ったり、近所の目を極度に警戒していたが、時々男を入れて交わっていた。こんな彼女であるが、ある時、海辺をドライブしていて、レストランで食事をした。帰る時、どこかに寄っていこうか?と言うと、帰る、と言った。ところが、後日、あの時チャンスは何度もあったのに、なぜ私の手を握ってくれなかったの?と言った。この言葉をどのように理解したらいいのか?わからなかった。ではここで、手を握って上げると言って迫ったらセクハラだと騒ぐ可能性があったと思う。彼女の気分に振り回されるべきなのだろうか?

 ともかく女は難しい、と書けばこれまた、セクハラと言われるのかもしれない?恐ろしい世の中になったものである。

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